まじめなはなし

りんです!

さきほどの「新歓!!!」を書いた後すぐにこっちのブログを書き始めています。

あと40分で日付が変わる~、、、それまでには書き上げたい笑

 

さてさて、なぜこのように今日

ふたつにブログの記事を分けたかといいますと。

危機感です。笑

先日、引退を迎えたばかりの先輩が、忙しい合間を縫ってブログを更新してくださいました。(ブログの東北訪問を参照)

 

その中では、先輩のあるぼらに対する思いやあり方などが書かれており、感銘を受けました。

そう。

どうでしょうにハマってるだの、

髪を青色に染めてーだの、

 

 

くっだらない話はなかったのです。

確かに、自分のブログでもTwitterアカウントでも作って、勝手にやれという話です。

まあ今後もここで書かせて頂きますが。

 

とはいえ。

このブログを書いている私という人間が

何を想って活動しているのか。

これに関してはお伝えしておいても良いのではないかと思い、キーボードを叩いています。

 

今回は、りんがなぜ、ボランティアに関わるのか。

もしかしたらその理由は他のメンバーとは異なるベクトルかもしれませんし、

そもそも明確に言語化してメンバーに話したこともありません。

あくまで私の個人的な「かたち」を、ここで一つ紹介したいと思います。

 

前置きが長くなりましたね。笑

 

、、、、

 

なぜ"Volunteer"に関わるのか。

実を言うとただただ、私は「それが必要だと思うから」なんです。

「主体的に(voluntary)」誰かの困難への挑戦や未来への前進に関わろうとする。

ビジネスや行政支援ではなく、その形態が最も手段として適切であるときが、あると思います。

もちろん、出来ることはせいぜい直接お会いして何かお手伝いするか、何かに気持ちを込めてお渡しするか、、、

 

「ボランティアでなんでも解決できる」と、傲慢にならないよう気を付けたいです。

 

しかし、

「関わろう」という思いで触れ合うこと自体が、人が前へと進むエネルギーを生み出すきっかけとなることがあります。

 

しかも、そのエネルギーはたぶん、自分にも還ってくるんです。

いつかどこかで、ちょっと笑えて元気になれる。関わると、そんなめぐりあいがたまにあったりします。

そういった想いのやり取りも含めて、「適切で、必要な選択肢の一つだ」と思います。

 

あるぼらは現在、災害被災地域を対象として活動をしています。

 

私の祖父母は、2011年3月11日当時、青森県八戸市の港町に住んでいました。今も祖母が住んでいます。

祖父母の家は高台にあるため、被害は殆どありませんでした。

 

しかし

 

小さいころから慣れ親しんだ街並みが。

漁師さんたちの命綱の漁船が。港に停められた車が。競りをしていた市場が。

小学生の私は、濁流にのみこまれる様を、身を守るために隠れた札幌の家のテーブルの下で、テレビで見ました。

 

なんだこれは。

 

衝撃でした。そして、まだ被害が相当に軽い地域だったということにも、衝撃でした。

 

4年が経ち、高校の頃に仙台に住む高校生に出会いました。

彼は僕に、震災の時の話を聞かせてくれました。詳しくは書くことができません。でも、とてもつらい話でした。

そのときはじめて、青森ではなく一般に報道されるような地域について「リアル」を抱きました。

 

もしかすると、今のメンバーの中で、東北や東日本大震災に一番近いのは、実は私かもしれません。

だからこそ、見れた部分もあります。

 

青森では、遊びに行くたびに積まれた瓦礫が少なくなり、そして復興という言葉を見る機会が少なくなっていきました。

 

「被災地」は、いつかそう呼ばれなくなります。

「支援」は、いつか必要なくなります。

そうあるべきだと、私は思います。

 

8年経ちました。もう、青森では瓦礫を見る機会はほとんどないです。

 

私たちの物を届けるという活動を必要とする方も、もしかすると少なくなっているのではないでしょうか。

 

とはいえ、「まだ8年」であり「もう8年」です。

今もまだ、歩みを続けている途中の地域があります。

「あるぼら」として、関わることが重要なのは8年前となんら変わらないと思っています。

 

そして同時に。

 

「伝える」という、新たな関わり方を考えていきたいです。

 

あの時なにがあったのか。それからどうやって、どんな人が、どんな思いで、状況をひっくり返してきたかを。

 

先ほどお話しした通り、物質的な支援はいつか必要なくなります。

それがわかった上で、それでもやはり、関わっていきたい。

物のやり取りで完結するような話じゃない。

彼から話を聞いたときに、そう思い、

 

何があったのか、いつか将来、「伝える」ことをやりたいと思う。

 

そう勝手に宣言したことを覚えています笑笑

 

やっぱり、覚えていてほしい。風化させたくない。ていうかさせない。

その気持ちを形にしていくのは、

どちらかといえばあるぼらではなく、私自身のライフワークだと考えています。

 

そしてこれはあるぼら全体として。

今まさに前に進んでいる最中である、胆振東部地震の被災地域にも、そのように関わっていきたいと思います。

 

東北とのつながりも、まだまだ続きます!(これは先輩がブログでお話ししてくれていましたね。「最後に」参照)

少しずつ、みんなで関わっていきますので、今後もよろしくお願いいたします。

 

ちなみに、私はあるぼら以外に、札幌市内で学習支援活動にも参加しています。(ぶっちゃけ人手が足りないです。)

誰かとのかかわりが大切なのは、被災地域だけではありません。

日常の中に、すぐそばに、ちらっとハッピーになれる瞬間や居場所。

これは世の中のどんな人でも、とくに子どもたちにはあるべきだと思います。

まあ、ここあるぼらうえぶなので、この話題はこれくらいで。笑笑

それこそTwitterでやれよ!って言われそう、、笑笑

 

、、、、

 

というわけで!

まじめなはなしでした。最後まで読んでくれた方、本当に有難うございます。

マウスをスクロールさせてここまでショートカットしたそこの君!

こいつ、案外まともなこと考えてんな。って思ってくれればよし!

でもまあ、日付は超えたし。

結局ただの日記みたいなもんだし。

いつもと変わんねえなこれ。

 

、、、さてさて。そろそろ夜中の一時をまわろうというところです。2時間近く書いてるのね。このブログを。

 

新歓の話もしたし、次は何について書こうかなあ。。。。

 

くだらないの何個か挟んだ後に、厚真や安平に関する話を他のメンバーに書いてもらっちゃおっかな~

 

りん

 

 

 

あるぼら公式SNS

Facebook


@arubora
@arubora

あるぼらファミリーページ


facebookの「あるぼらファミリー 公式グループページ」です。

参加者と運営スタッフとの関わりがリアルタイムで行われています!